1985年 筑波科学博覧会サントリーパビリオン
コンピューター技術の導入により曲線が多い形態においても短期間で設計施工が可能となった、未来を見据える軽量構造建築物。 筑波の自然景観との融合一体化を目指し、なだらかな丘のイメージを表現する。
1989年 海と島の博覧会・ひろしま(リゾート博)メインテーマ館
世界から贈られる愛と情報の数々と、広島か世界へ発信するメッセージを”波”に託して。 波の日本的な形態表現には、北斎のスケッチから多くヒントが得られている。 全長100m、幅35m、高さ30mの単膜空気構造は内部に逆さ張弦梁を容し、その外力からの変形に対処している。

1990年 イベントビル(大阪)
現状の都市の姿。それは直線が支配的なコンクリートや石といった硬い素材、ガラスや金属といった鋭利な素材が多く用いられている。機能と合理性のみの経済 原則が主で形作られた姿と言える。都市の景観をもっと優しいものにしたい。その大部分を形成する建物の外観をもっと優しい形に。例えば我々の顔ひとつとっても全てが3次元曲面から成っている。メンブレン−膜材を使って自然の雲の形の表現を試みた。膜材を外壁材として用いカーテンウオール工法で建てられた世界初の建築物である。
スタジオ・シティ・東京
建物の全体概要。300m・300m・120mから成る立方体をイメージしてほしい。それは想像を絶するコンプレックスと言える。「21世紀のハリウッドをアジア・Tokyoに」のコンセプトで計画はスタートした。施設全体で消費されるエネルギーは膨大なものであり、365日、時間により求められるエネルギー容量は千差万別である。太陽光、風力、波力、下水排水熱の再利用、既存空調機器の廃熱利用、液化天然ガス、既存電力等コージュネレーションシステム、ありとあらゆる手段をもって必要最大エネルギーを効率的に最も安価に作り出しコントロールする高度な制御技術が求められた。この様な規模の連続した立体空間は世界に類を見ない。まさしく空中都市の出現である。実現の暁には世界遺産として人類の足跡の1ページを飾るに違いない。

1990年 水の館(住宅)
岐阜に建つ個人住宅である。オーナーは故郷を岐阜に持ち東京で活躍する会社の代表。目まぐるしく変化する金融世界経済がオーナーの主戦場である。土地は木曽、長良、揖斐の3河川が時代でその流れを変えてきた地下水豊富な濃尾平野のデルタにある。オーナーの為の別世界。肉体と精神そしてそれらを繋ぐ神経のバランスを取り戻し、再生する。故郷の香りのなかで、潤いの表現手段として豊富な“水”が選ばれた。中庭の水、流れる水をイメージした流線型に曲がった階段、滝の流れの様なリビングのシリンダー状の天窓、白糸の滝の様なエントランスホールの純白のレースカーテン、茶室の外観も水を意識してガラスで覆われ“水庵―粋庵”と名づけられた。
2003年 中目黒保守基地慰霊碑
2001年、地下鉄日比谷線中目黒駅近辺で起きた電車人身事故の慰霊碑である。テーマは“祈り”。祈りのエネルギーで人々の心を“救い”に導きたかったのである。全体は空、風、火、水、地、五輪の塔の意味から成っており、“祈り”が我々の住む大地から宇宙へ繋がってゆく様を表している。象徴的な三体の石像は正面左からそれぞれ風、光、水をテーマとしている。クライアントからは宗教の違いを超えた存在としても要求がなされた為もあり、各々石像には違った祈りのモチーフが“空の形態”と共に、例えばマリア様、仏様坐像、女神様と言った様に表現が試みられている。